世の中、顔か?
『世の中、顔か?』曽和美佑・著
落差の沼に落ちる
『世の中、顔か?』を読み終えた今、私の心に残ったのは、書かれている主張への同意、そしてそれ以上に「落差」からくる重い徒労感だった。
本書が示すのは、他人の評価ではなく自分の意思で心地よい方を選ぶこと、そして「このままの私で大丈夫」という安心感を自分の手で育てていくことだ。この方向性には全面的に同意する。
他人の意見ばかりに耳を傾けず自分の軸を持つこと。服やメイクを、誰かに何か言われないための防衛策ではなく自分のために選ぶこと。どれも私が日頃から大切にしたいと考えている生き方そのものだった。
それなのに、ページをめくればめくるほど私はズルズルと沼に沈み込んでいくようだった。著者の考え方に共感するほど「この人と私は、どうしてこんなに違うのだろう」という、スタートラインの違いを突きつけられたのだ。
自信の根源はどこにあるのか
まず圧倒されたのは、著者のそわんわんさんが持つ行動力と自己肯定感だった。YouTubeの開設からオーディション挑戦、プラスサイズ誌への応募、自らを売り込む企画書の持ち込みまで、私と近い体格の人がその姿を堂々と誇って人前に出ていく。一方の私は、現在の体型で前に出ることに強い抵抗があり、表に出たくない、影に隠れていたいとさえ思ってしまう。その姿勢の違いに圧倒された。
著者は、まず自分を好きになり、自分を「可愛い」と定義することで世界が変わると説く。過去の「ブス売り」をやめた経緯や、高校時代のバイトで最初は嫌われていても「自分は最後には好かれる」と思えていた体験も語られる。
「世界が変わる」という理屈はよくわかる。けれど、自分に「可愛い」というラベルを貼る最初の一歩は、私は踏み出せない。そして本当に自分をブスだと思い詰めていたなら「ブス売り」すらできないのではないか、と私は思う。
著者がどれほど過去の葛藤を語っても、すでに強固な自己肯定感(または鈍感力)の上に立っているように見えてしまう。
私が抱いたのは羨望というより、どうすればその立ち位置に行けるのかという疑問であり、真に知りたかったのは「自信の根源」だ。
著者はその背景として、髪を染めたことさえ気づかない母親の存在など、自身の生い立ちを明かす。気にするべき「他人」が当時の世界にいなかったため、世間に鈍感なまま自分でいられたのだという。
自信の土台には「親からの十分な愛」があると考えていた私にとって、この記述は意外だった。しかし、これを読んでも著者の圧倒的な自信のすべてが説明されたとは思えず、疑問は残ったままとなる。
違和感が重なる
本書では「二重のほうが可愛い」「痩せているほうがいい」という価値観を、コンプレックスを煽って商品を売る社会のマーケティングだと説明する。確かにその側面はあるだろう。
けれど私には、美容広告など知らない小学2年生のときの記憶がある。これは1999年、世間はまだガラケーの普及率が40%くらいの頃の話。
当時、小学生の間では文通が流行っており、隣のクラスの恵理ちゃんのもとに手紙を届けに行くのが放課後の習慣になっていた。恵理ちゃんはいつ見ても可愛い。そう思って顔をまじまじと見ると、恵理ちゃんのまぶたに、私にはない1本の線が見えた。そして私は気づいてしまった。自分が可愛いと思う子には、必ず目に1本の線があることに。「ああ、私は可愛くないんだ」と悟った瞬間だった。
広告を見ていなくても、他人がいる限り比較は生まれるのだから、この価値観がマーケティングだけで説明できるほど、単純な話ではないと思ってしまう。
また、本書には「健康になる」よりも「痩せる、可愛くなれると宣伝したほうが売れる」という話も、年齢層やターゲットによって響く要素は違うのではないかと思う。確かに20代の子に訴求するなら「可愛くなれる」「痩せる」は良い宣伝文句になるだろう。しかし、30代を超えると「健やかに痩せる」のほうがはるかに魅力になると私は感じる。
そして「好かれたいと思って頑張るのは間違いで、他人の気持ちを変えようとするのは傲慢だ」という主張にも私は素直にはうなずけない。誰かに好かれたい、よく見られたいと願う気持ちも、自発的に生まれる自然な感情ではないだろうか。
救いを求めた先で残った傷
葛藤を抱えて読み進めた終盤で、著者は、自分が満たされる方法を見つけてほしいこと、悲観的になっても不幸を武器にしないでほしいことを書く。そして、27歳になり、顔について悩む段階を確実に抜けたとも述べている。
だが、満たされる方法がわからないからこそ、私は苦しくて立ち尽くしているのだ。
不幸を武器にして誰かに訴えた覚えもないが「武器にするな」という趣旨の言葉は鋭利だ。35歳になっても容姿の葛藤から抜け出せない私には、27歳でそのフェーズから脱却したという記述が「いつまでお前はそんなことを言っているのか」と突き放されたように響く。著者に突き放す意図がなかったとしても、勝手に傷付いてしまう(面倒な性格だ)。
本書は、著者に向けられた容姿攻撃の投稿に対するアンサーとして書かれたエッセイだ。そこに私は具体的な解決策を求めすぎたのかもしれない。
見た目に悩む人に寄り添ってくれると信じて手に取った本だったのだが、著者の圧倒的な強さと自分との距離を思い知らされる、苦い読書体験になってしまった。
どうしても自分を好きになれない私が一番知りたかったのは、自分を好きだと思えるようになるまでの、泥くさい道のりだ。
著者の放つ光に感心しながらも、その隔たりにひとり取り残され、沼に沈んでいくような感覚が拭えない。



