娘に整形したいと言われたら

『娘に整形したいと言われたら』
うみの韻花・著

親の「かわいい」は届かない

親から見れば、子どもは生まれたときから愛おしい存在だ。本人がどれほど自分の顔を嫌っていても、そこに愛おしさを見出す。だから子どもから「整形したい」と言われたとき、多くの親は「そんなことしなくていい」「そのままで十分かわいいよ」と伝えようとする。

その言葉に嘘はなく、紛れもない愛情から出たものだ。それでも、その「かわいい」が子どもの苦しみに届かないことがある。

うみの韻花さんの『娘に整形したいと言われたら』は、中学生の娘から整形したいと打ち明けられた母親が、娘の苦しみに向き合っていく物語だ。本作を読みながら考えさせられたのは、どれほど本物の愛情であっても、それだけでは届かない痛みがあるという事実だった。

親と世間の「かわいい」のズレ

外見に悩む子どもに「そのままで十分」と言いたくなる気持ちはわかる。しかし、深く傷ついているとき、その慰めは届かない。

外見の悩みは、家庭の外で形成されることが多い(毒親であれば話は別だが…)。学校での扱いや友人関係の立ち位置、SNSで称賛される顔立ち、好きな人からの視線、見知らぬ誰かから向けられた言葉——。そうした日々の積み重ねが、本人の苦しみになる。

鏡を見るたびに傷つき、写真を撮られるのを恐れ、自分の顔が嫌で外出するのも億劫になる。そうした現実の前では、世間と親の「かわいいかどうか」というジャッジメントのズレそのものが苦痛になり得る。

外見に悩む子どもが求めているのは「そんなことないよ」という否定ではなく「そんなにつらかったんだね」という受け止めだ。

親が見ている顔と、子ども自身が生きている顔は違う。親にとって愛おしい顔は、悲しいかな、子どもにとっては、からかわれ、比べられ、自信を失ってきた顔でもある。親の言葉が届かないのは愛情が足りないからではなく、その言葉が相手の痛みに触れていないせいなのかもしれない。

もちろん、そのままの自分を見てくれる人がいるという事実は支えになる。親の「かわいい」が無意味なわけではない。ただ、それだけでは救えない場面があるのもまた現実なのだ。

ルッキズムと親のエゴ

本書で胸が痛むのは、娘だけでなく母親までもがルッキズムに呑み込まれていく姿だ。子どもがつらそうにしていれば何とかしたいと思うのは当然の親心だが、その「助けたい」という思いが強くなると、親のエゴになってしまう可能性もある。

「外見で苦しんでいるなら、外見を変えれば救えるのではないか」
冷静に見れば短絡的だが、目の前で子どもが追い詰められていれば、すがりたくなる気持ちも理解できる。しかし、救いたいという執着が強まりすぎると、いつの間にか親自身が変わらなければ救われないという価値観を抱え込んでしまう。

これは、ある特別な親だけに起きることではない。外見によって扱いが変わる社会で「少しでも傷つかずに生きられる顔にしてあげたい」と願うことは、責められないほど切実で、同時にとても危うい。

整形は悪でも、万能の救いでもない

美容整形を否定したいわけではない。外見を変えることでコンプレックスが軽くなり、鏡を見ることや人前に出ることが楽になる人は確実にいる。その実感まで「社会につくられた欲求」と一蹴することはできない。

私自身、美容医療の記事を書く中で、施術を検討する人たちの切実な悩みに触れてきた。検索欄に並ぶ失敗への不安、不可逆性の恐怖といったものには、軽々しさなど微塵もない。「整形したい」という願いを、浅はかだと切り捨てることは到底できない。

ただし、外見が変わることと「自分を見る目」が変わることは同義ではない。施術で気持ちが楽になる部分があっても、他人の視線に対する怯えが残ることもある。顔の問題だと思っていたものが、より深い自己否定に結びついていたと、整形後に気づく場合もあるだろう。整形は苦しみの一部を和らげてくれても、すべてを消し去ってはくれない可能性もあるのだ。

未成年の美容整形に向き合うということ

未成年の整形においては、身体的リスクに加え、本人の意思や精神状態、家庭環境、医療機関の選定などを慎重に見極める必要がある。そのため、家庭内で必要なのは、即座の「許可」や「禁止」ではない。

なぜそう思ったのか。いつから苦しかったのか。どんな顔になれば何が変わると思っているのか。「整形したい」という結論ではなく、そこに至るプロセスと感情の変化を、本人の言葉でじっくり聴くことだ。

子どもが自分の顔を嫌う姿勢は、親にとってもつらい。その顔に自分の面影があれば、自分自身を否定されたように感じるかもしれない。親が生きてきた時代と子どもが生きている世界は大きく変わった。ゆえに苦しみも、親世代がすべてを理解するのは難しいだろうと思う。

『娘に整形したいと言われたら』は、未成年の整形の賛否を問う本ではない。「親の愛があれば子どもは救える」という美談でもない。愛情だけでは届かない痛みがあること、そしてその痛みに向き合おうとする親自身もまた、社会の価値観に巻き込まれていく危うさを描いた作品だ。

「そのままでかわいい」という言葉に救われない人がいる。一方で、「整形すれば変われる」という思いの先に、必ずしも決定的な答えがあるわけではない。
だからこそ重要なのは、子どもがどんな経験を経て自分の顔を嫌うようになったのか、その背景に目を向けることだ。一生付き合っていく自らの顔とどう向き合っていくのか。それを親子で一緒に考える時間を持つことが、いまの時代に求められているのかもしれない。